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こんばんわ。
おふと申します。
今回の記事は「スポーツが子供たちの心の拠り所になる」と言うお話です。
いつもとは少し趣旨が違うかもしれないですが、子供を育てている環境に「スポーツ選手」は重要な要素だと思っています。
例えば、阪神淡路大震災の後に「オリックス・ブルーウェーブ」が子供たちにどれだけの励みになったのかという実例もあります。
では、いつもの寸劇からどーぞ。
2019年3月21日 東京ドーム「アスレチックス 対 マリナーズ」テレビ放送を見ながら
父親「このイチローの打席だけ…」
奥さん「それよりも子供たちをお風呂に!」
そんな攻防をしながら、イチロー選手の第二打席まで見れました。
その後、お風呂に子供たちを入れると
…「イチロー選手、引退か?」というニュースがスマホに速報で!
そこから先は、ショックを受けて、寝かしつけもおざなりになってしまいました。
「イチロー選手」が21日に引退表明をされました。
「おつかれさまです」
という気持ちで一杯です。
でも、寂しい気持ちがよぎります。
数々の大記録を打ち立ててきた「イチロー選手」ですが、僕が好きだったのは苦しんでも果敢に挑戦する姿だったと思います。
その姿に感動し、自分も前に進まなければならないと気分をあげていったからです。
僕は神戸で生まれ育ってきたので「イチロー選手」は特別に思い入れのあるプロ野球選手です。
阪神淡路大震災のあとで、「イチロー選手」を筆頭とした「オリックス・ブルーウェーブ」の活躍が子供だった僕に大きな励みになったのを思い出します。
「がんばろうKOBE」
このフレーズを聞くと、なんとも言えない、がんばっていくしかないやろって言うような気に今でもさせてくれます。
今でも、まさに「復興のシンボル」です。
「スポーツが大衆に与える感動」の本質
震災の後に、僕らが目にしたのはがれき化した神戸の街でした。
神戸っ子は、なによりも美しい港町を愛していると僕は思います。
その美しい港町が一瞬でがれきに変わってしまったショックを今でも忘れることはできません。
そんな時に「オリックス・ブルーウェーブ」は神戸の誇りを取り戻してくれた存在だったと思います。
当時、「グリーンスタジアム神戸」と言われた美しい天然芝の球場に「白地に青」の美しいユニフォームの躍動する姿は当時の神戸の誇りでした。心の拠り所でした。
僕はあの「オリックス・ブルーウェーブ」がその後の復興に精神的に大きな貢献をしてくれていたと考えています。
「オリックス・ブルーウェーブ」が活躍している姿に自分を投影する。
だから、今でも「がんばろうKOBE」と聞くと、無条件にがんばっていこうと思えるのだと思います。
スポーツにはそういう力があることを信じています。
「夢」を持つこと
応援するチームを子供たちに持ってもらい、スポーツ選手のように前向きなチャレンジを推進するような気持ちをもってもらいたいと思います。
それがある意味で「夢」をもつという事かもしれませんが…。
残念ながら、もう神戸には「オリックス・ブルーウェーブ」は存在しません。
なぜ、神戸に定着できなかったんだろう?
さらに「イチロー選手」の引退に一つの時代の終わりを感じてしまいます。
イチロー選手の次の挑戦を楽しみにして、これからも応援していきたいと思っています。
なんだか寂しい気分になってしまったので、ブログにこんな感傷的な記事を書いてしまいました。
【追記】
3月31日のNHKスペシャル「イチロー 最後の戦い」でイチローのコメントに
「神戸を思う気持ち」がありました。
「イチロー選手の日本に戻るチームを残せなかった」事がさらにつらく感じました。
イチロー氏、日本球界復帰の可能性あった「神戸にチームがあれば考えた」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
イチロー選手の雄姿を神戸で見るチャンスがなくなってしまった事と日本での居場所を守れなかった事について、改めて残念であったと思います。
オリックスには神戸への思い入れはなかったのが残念ですし、神戸市民はオリックスに地元としての愛着がオリックスに持てなかったのだと思います。僕が知っている限り、オリックスが大阪に出ていくのは残念だと言っている人がいましたが、怒っている人は皆無だったと思います。
それだけ興味のないチームに成り果ててしまったのだということです。
バファロースになって「猛牛打線」とか「いてまえ打線」と言われるようになってから、僕自身、チームに全く愛着も持てない状況だったので…。それは今も同じ思いです。
地元にプロ野球チームがある地域の方は、できるだけ大切にしてください。
Jリーグクラブは「地域密着」をより推し進めてもらって、横浜フリューゲルスのような悲劇が起きないようにサポーターも普段からクラブを愛してほしいと思います。