優柔不断な父親の成長過程日記

育児仲間募集中の二児の父親。「子育て」「サッカー」を中心とした日記調ブログです。ショートショートで気軽に読めるブログを目指してます。

【ヴィッセル神戸のターニングポイント】2003年の「営業譲渡」と「チームカラー変更問題」

こんにちは、おふと申します。

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 「ヴィッセル神戸」の魅力を発信していきたいという、いちファンが勝手にクラブの魅力を綴っていきます。

 

今回は「Jリーグを振り返る」という企画に乗っかり、「ヴィッセル神戸の2003年」について語ってみたいと思います。

 

 

 

 

ヴィッセル神戸のターニングポイント「2003年の営業譲渡」

「過去を振り返る」企画という事で、今回はヴィッセル神戸のターニングポイントになった「2003年の営業譲渡」と「チームカラー変更問題」についてご紹介したいと思います。

 

www.vissel-kobe.co.jp


ヴィッセル神戸にとって、「クラブ存続の危機」に陥った年は「1995年」と「2003年」。

25年という短い期間にこの2度のターニングポイントを乗り超えてきました。

 

「1995年」はクラブ始動の年とともに阪神大震災の年でした。

今回紹介したいのはもうひとつの「ターニングポイント」である「2003年」です。

 

「2003年の経営譲渡」は経営的に破綻した「ヴィッセル神戸」を「楽天」が実質買収したという内容でした。

 

その当時の記事が「日刊スポーツ」の復刻版として、ネットに掲載されていたのでリンクして紹介したいと思います。

 

www.nikkansports.com

 

この記事において、95年の状況から03年の経営譲渡に繋がったことを指摘されています。

03年まで「ヴィッセル神戸」を運営していた「株式会社ヴィッセル神戸」の問題は設立当初から持っていた慢性的なものでした。

 

  1. 95年、阪神大震災によりメインスポンサー「ダイエー」が撤退
  2. 「ダイエー撤退」により、財務的に経営基盤が脆弱な「市民球団」でスタート
  3. 資金が少ない為に効果的な選手補強が行われず、場当たり的な経営になり、赤字体質のまま「経営破綻」

 

手っ取り早く言ってしまうと…

財務的にバックアップしてくれる「親会社」がいない。

 

「ヴィッセル神戸」を「楽天」に買収してもらうことは、この慢性的な問題の解決策でした。

 

「ヴィッセル神戸」を引き受ける気がなかった「三木谷オーナー」

今年の天皇杯を制した後のインタビューで「03年の経営譲渡」を回想した三木谷オーナーの話が神戸新聞に掲載されていました。

 

www.kobe-np.co.jp

 

「今だから言えるが、引き受ける気はなかった。だけど『引き受けないとどうなるの』と聞くと、『消滅します』と。さすがに忍びない。お金も大量に損すると分かっていたが、引き受けた」

 自身の個人資産管理会社が経営権を引き継ぎ、私財も投じた。選手補強や監督人事で支出が膨らみ続け、06年には累積赤字約29億円を個人で補填。総工費2億3千万円を投じ、育成組織の高校生らが使う選手寮「三木谷ハウス」も建てた。2度のJ2降格を経て、15年に楽天の完全子会社に移行すると、豊富な資金力で、元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタ(35)ら大物を迎え入れた。

 チーム創設25年目に手にした初の栄冠。「神戸で生まれ育ったから、今の自分がある。恩返しだと思って引き受けたら、どっぷりはまっちゃいましたね」。言葉に故郷とチームへの愛があふれた。

 

このインタビューの内容からすると、「サッカークラブ経営は基本的に儲からない」ということが推測されます。

でなければ、当時J1リーグに所属していた「株式会社ヴィッセル神戸」は経営破綻しなかったと思います。

 

diamond.jp

 

実際の話、2005年からJリーグのクラブは財務状況を公開しないといけない義務があるのですが…

それによると「ヴィッセル神戸」は13年まで単年度赤字を続けていく事になります。

 

ここで知ってもらいたいポイントは、「儲かっていなかったサッカークラブ経営」において、三木谷オーナーは身銭を切って「ヴィッセル神戸」の経営を続けていてくれていた事です。 

 

03年に「三木谷オーナー」に出会えた事は「ヴィッセル神戸」のターニングポイントだったと思います。

 

「ヴィッセル神戸経営譲渡」に伴う「チームカラー変更」

「楽天」への経営譲渡には、「株式会社ヴィッセル神戸」からふたつの条件がついていたと言われています。

 

  • クラブの本拠地を「神戸」から動かさない
  • 「ヴィッセル神戸」のクラブ名を変更しない

 

この条件に従って、「株式会社ヴィッセル神戸」から「株式会社クリムゾンフットボールクラブ」(株式会社楽天ヴィッセル神戸の前身)へと経営譲渡されることになります。

 

さて、運営会社が変更になった以上、クラブの体質も変更していきます。

経営譲渡した時の条件以外の変更を04年に「株式会社クリムゾンフットボールクラブ」は求めてきたのです。

 

  • チームカラーを「白黒」から「赤」に変更

 

楽天が運営していく以上は、「ヴィッセル神戸の役割」は「楽天の広告塔」です。

その上で「楽天のコーポレーションカラーである赤に変更」は楽天がヴィッセル神戸を経営していく目的を考えるとわかりやすい要求でした。

 

「Jリーグ理念」との矛盾に一部のサポーターが反発

一方で「チームカラー変更」は神戸サポーターを動揺させる要求でした。

 

一部のサポーターは

  • 「赤」は三木谷オーナの出身校である「ハーバード大学」のスクールカラーであり、神戸市民の共有財産(ヴィッセル神戸)を私物化している

といった考えを掲げて反発しました。

 

この考えのもとになったのが「地域密着」を重視した「Jリーグ理念」です。

例えば、クラブ名に企業名を入れないと言った。

 

この「チームカラー変更問題」。

行き着いた先は、反対派サポーター団体による「チームカラー変更を凍結するための嘆願署名」でした。

 

嘆願署名は、神戸サポーターよりも他クラブのサポーターの署名数の方が多かったという微妙な結果となります。

 

当然ながら、「株式会社クリムゾンフットボールクラブ」からも「Jリーグ」からも却下されることとなりました。

 

「ヴィッセル神戸」の「チームカラー変更問題」が残した教訓はクラブ理念「トモニイコウ」「一致団結」

 経営譲渡が03年。

「チームカラー変更問題」が04~05年。

「J2」が06年。

 

 この時期はクラブにとって苦しい時期でした。

なんと言っても、「楽天」が経営し始めたばかりで「チームカラー変更問題」で一部のサポーター反発、チームの下降線を辿りJ2へ降格。

それを乗り超えたクラブとサポーターには「教訓」が残りました。

 

06年から使われている「クラブ理念:トモニイコウ」

 

www.vissel-kobe.co.jp

 

クラブとサポーターがいがみ合っていては、チームが上手くいくわけがありません。

「ヴィッセル神戸」のクラブも選手もサポーターも良く使うフレーズ「トモニイコウ」はこの時期の教訓です。

 

「トモニイコウ」がさらに進歩して、「一致団結」になります。

www.vissel-kobe.co.jp

ヴィッセル神戸では、2006シーズンより継承してきた「トモニイコウ。」のクラブ理念を礎に、クラブ20周年を迎えた2015シーズンよりクラブの団結力をより高めて更にまい進していきたいという思いを込めて掲げています「一致団結」に、2018シーズンよりアジアNo.1クラブを目指す熱い思い「To become the No.1 Club in Asia」を加えたクラブスローガンを掲げてまいります。

 

ここで知っておいてもらいたいポイントは、クラブ理念:「トモニイコウ」「一致団結」が掲げられた裏にあるクラブとサポーターの歴史です。

 

多額な資金を投資して「楽天の広告塔」として「ヴィッセル神戸」の価値を高めてきた三木谷オーナー。

三木谷オーナーのクラブ私物化が許せなかった一部のサポーター。

その関係の悪化は、チームをJ2へ導いてしまったという結果をもたらしました。

 

でも、クラブへの多額の投資を決断したのは「三木谷オーナーのクラブ愛」ですし、三木谷オーナーのクラブ私物化を許せなかったのも「サポーターのクラブ愛」。

 

ここでなにが大事なのかを共有できたら、「一致団結」できると僕は思います。

 

このヴィッセル神戸の03~06年にかけての出来事は、今後の「03年のヴィッセル神戸」と同じ状況に置かけるかもしれないJクラブにとっての良い前例になるかもしれません。

 

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