こんにちは、おふと申します。
「ヴィッセル神戸」の魅力を発信していきたいという、いちファンが勝手にクラブの魅力を綴っていきます。
今年は、関西にあるJクラブのホームスタジアムが「球技専用スタジアム」になりました。
- ガンバ大阪 <パナソニックスタジアム吹田>
- セレッソ大阪 <ヨドコウ桜スタジアム>
- ヴィッセル神戸 <ノエビアスタジアム神戸>
- 京都サンガ <サンガスタジアム by kyocera>
さらに、京都サンガのJ1昇格がほぼ決まりかけており、
来年は関西サッカーは新しいステージにステップアップします。
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最近は、三木谷浩史会長擁する楽天グループに多額の投資されている「ヴィッセル神戸」ですが…
本来であれば、「京都サンガ」がそのポジションにいるはずでした。
その理由は「京都サンガ」の創業者・稲盛和夫氏。
現在も株式会社京都パープルサンガ代表取締役名誉会長であり、
「京セラ」「KDDI」の創業者でもあります。
2002年の第82回天皇杯を制した時、
Jリーグ発足後、初めて関西のクラブがタイトルを獲得した時、
「京都市」にサッカー文化が芽生えていたら…
関西を代表するビッグクラブは「京都パープルサンガ」だったかも知れません。
稲盛和夫氏と言えば…
彼が提唱した「京都市横大路運動公園スタジアム計画」が発端となり、
「関西Jクラブのホームスタジアム」が「球技専用スタジアム化」されました。
なぜ、「球技専用スタジアム化」の発端になったのか?
今回は「京都市横大路運動公園サッカースタジアム計画」を中心に、
「稲盛和夫氏と関西のサッカースタジアム論」のお話をご紹介したいと思います。
※今回の記事は、読んでいる人に推測してもらいたいと言う内容を含みます。
さらに、それは違うと言われるようなサッカーファンの与太話です。
異論をお持ちなら、しょうもない話だと笑ってもらえると助かります。
稲盛和夫氏が切っ掛けとなった「京都の民設サッカースタジアム計画」
「京都サンガ」………
日本の古き都をホームとするプロサッカークラブです。
そして、Jリーグ発足後に関西にホームを置くクラブとして
初めてタイトルを獲得したクラブでもあります。
スポンサーには「京セラ」「KDDI(au)」「任天堂」など
日本を代表する大企業が占めています。
なぜなら、株式会社京都パープルサンガ代表取締役名誉会長は「稲盛和夫氏」。
日本財界の超大物が「京都サンガ」を後押ししているのです。
ところが、「京都サンガ」は「ビッグクラブ」と言われるような存在にはなっておらず、近年はJ2が定位置になっていました。
なぜ、「京都サンガ」は「ビッグクラブ」になれなかったのか?
僕の知り合いのサンガファンは、
「京都市にサッカー文化が芽吹かなかったからだ」と言っていました。
「京都市」に拠点が持てなかった「京都サンガ」
「京都サンガ」のホームページを見れば、すぐ分かるのですが…
- 本社:京都市下京区四条通室町東入凾谷鉾町87番地 ケイアイ興産京都ビル
- クラブハウス:城陽市久世上大谷89-1 サンガタウン城陽
- ホームスタジアム:サンガスタジアム by kyocera(亀岡市)
(「京都サンガチャンネル」より引用)
本社以外のクラブ拠点は「京都市外」なのです。
もちろん、ホームタウンは「京都府」なので問題があるわけではないのですが…
これこそが「京都サンガ」が「ビッグクラブ」になるチャンスを掴めなかった原因なのだと推測します。
「稲盛和夫氏」への反発が強く、サッカー文化が芽吹かなかった「京都市」
「京都市」にサッカー文化が芽吹かなかったと言う証左が
- 頓挫した2004年の「京都市横大路運動公園サッカースタジアム計画」
2003年1月1日、京都新聞朝刊一面記事にて「伏見に『サンガ』スタジアム」と報道され、記事では京都市が横大路運動公園の一部を提供し、サンガ側が建設をする官民協力のパートナーシップ方式で2万人規模のスタジアムを整備すると報じられた。また、前年8月頃から「みやびの杜プラン推進委員会」がサッカースタジアム建設要望の署名活動を行い、2003年3月に35万人の署名とともに要望書が提出された[24]ことも受けて、京都府と京都市は京都市内での建設を検討したが費用面で折り合いがつかず中止された。
2004年には京セラ名誉会長の稲盛和夫が「来季にJ1昇格できなくともスタジアムは着工したい」と私財を提供して3万人の専用スタジアムを作る事を公言した[25]。その後は地元経済界一体で建設費の一部65億円を提供し、京都市横大路運動公園にスタジアムを建設することが自治体と経済界の間で合意されたが、費用負担をめぐり京都市会の同意が得られず、また稲盛も「本来行政が整備すべきもので、私が資金を出すことに誤解や反発もあるようだ」とし、私財提供を撤回し[26]、計画は中止された[27]。
2005年、京都市等によるスタジアム検討委員会が設置され、京都市横大路運動公園ではアクセスの問題を解決するにあたり、京阪本線の新駅を建設する必要がある等の問題があり、実現は2020年頃となるであろうと発表されたが、横大路では「交通アクセスなどの面から整備は困難」、「維持管理費などで年間1億3,000万円余りの赤字が見込まれる」として、この建設案は断念となった[28]。また、梅小路公園(下京区、地図)や京都府立植物園(左京区、地図)への整備の可能性についても、京都市は貴重な植物の移植などの問題があるとして「府市民の同意が得られない」との理由で見送った[29][30]。一方で2007年4月に京都市は伏見区に新たに伏見桃山城運動公園(北緯34度56分23.71秒 東経135度46分44.0秒)を整備し、野球場や多目的グラウンドなどを建設した。
(Wikipediaより引用)
まとめると…
・2002年に「京都サンガ」が天皇杯を獲得し、
03年に35万人の署名を集め、「官民協力」で2万人スタジアムを提案。
しかし、費用面で折り合わず中止。
・費用面で折り合わないならと、
04年に稲盛和夫氏が私財を提供して、3万人スタジアムを提案。
地元経済界で65億円を提供し、自治体と経済界が合意。
ところが費用負担について、京都市議会が同意せず、頓挫。
・07年に京都市は近隣の「伏見桃山城運動公園」を整備した。
以上が「京都市横大路運動公園サッカースタジアム計画」の流れです。
事実だけを記入しただけですが…
なんだか「京都市横大路運動公園サッカースタジアム計画」を推進させないぞと言う悪意にも似たモノを感じませんか?
費用面が折り合わない → 稲盛和夫氏が私財を提供する → 京都市議は費用負担について同意できない → 京都市は近隣の運動公園を即座に整備
稲盛和夫氏が
「本来行政が整備すべきもので、私が資金を出すことに誤解や反発もあるようだ」
と言うのも理解できます。
鹿児島出身の稲盛氏について、
「幕末の時のように、薩摩モノに都を自由にさせる気はない」
と発言した人がいたとかいないとか…。
「動機善なりや、私心なかりしや」
私財を提供するとまで公言して推し進めていた「スタジアム計画」が頓挫。
稲盛氏が応援していた「京都サンガ」を私心と思っていたのであれば、
ここからサッカーに距離をとっていったように感じます。
ここからは推測…
稲盛和夫氏は政治にも関与しています。
現在では、距離をとっていますが…
当時は民主党を支持し、前原誠司氏の後援をしていました。
じゃあ、京都市議会の与党は?
広島のスタジアム計画は広島市内にこだわり、
「広島市政」と戦い抜きましたが…
京都では京都市内にこだわらずに、
亀岡市の駅前に新スタジアムを建設することになります。
サンガスタジアム京セラ(京都府亀岡市)の整備を巡り、京都府が建設財源として見込んだ20億円分の寄付金が集まらず、不足分全額を府民の借金である府債で補うことが5日までに分かった。穴埋めの府債発行額は17億4700万円に上る。また、日本サッカー協会から施設の不備を指摘され、改善工事のため5億8400万円を支出する。財源に多額の寄付を当て込んだ上、設計段階の調整不足も露呈した形で、府の当初計画の甘さに批判が出ている。
(京都新聞の記事より引用)
稲盛氏の私財をありがたく、使わせてもらっていたらよかったのに…。
「京都サンガ」は2004年頃から「定位置がJ2リーグ」と言うクラブになっていきました。
もし、この時にホームタウンの中心となる「京都市」が
サッカー文化に理解を示して、「新サッカースタジアム」を推進。
稲盛和夫氏とともに「京都サンガ」を盛り上げていってくれたのであれば、
2010年頃には、京都に「ビッグクラブ」が誕生していたのかもしれません。
その「京都サンガ」が久しぶりにJ1復帰しそうです。
しかも、「球技専用スタジアム」をホームスタジアムにして…。
クラブとしての資金力があるだけに、
数年後には「京都市外」からサッカー文化を広めて、
ビッククラブに成り上がっているかもしれません。
頓挫した「京都市横大路運動公園サッカースタジアム計画」が遺した「民間主体」「寄付」と言う考え方
最後に頓挫してしまった「京都市横大路運動公園サッカースタジアム計画」の遺産についてです。
「京都市横大路運動公園サッカースタジアム計画」の遺産とは
- 民間主体
- 寄付
このふたつは「関西のサッカースタジアム事情」を大きな影響を与えます。
「パナソニックスタジアム吹田」「サンガスタジアム」「ヨドコウ桜スタジアム」は
すべて、この「民間主体」「寄付」で進めた「新スタジアム計画」でした。
つまり、民間主体による「球技専用スタジアム」のスキームを稲盛和夫氏が提唱したとも言えます。
この方式は「広島」「長崎」「今治」など、
全国のサッカースタジアム計画に波及していきました。
稲盛和夫氏の提唱した「京都市横大路運動公園サッカースタジアム計画」のおかげで
全国のサッカースタジアム計画は大きく進みだします。
まさに「民間主体のサッカースタジアム計画」の切っ掛けとなる出来事でした。
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