優柔不断な父親の成長過程日記

日常の気になった事をブログに書いています。

「耳当て」と「長男」と「未熟な父親」

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こんにちは、おふと申します。

 

 

うちの長男は小学三年生。最近、めっきり寒くなってきた。

先日、長男が学校に行く前に言った。

「ぱぱ、耳当てどこやったっけ?」

ああ、そうやった。そろそろ耳当ての季節か。

「知らん。どっかに置いたんちゃうん。」

僕はそう答えた。

別に意地悪で言ったんじゃない。

 

ただ、本当にどこに置いたのか覚えてなかったのだ。

それに、長男も自分で探せばいい。

そう思ったのも事実。

 

しかし、この時の僕の返答が、後々、色々なことを考えさせられるきっかけになるとは、この時は知る由もなかった。

 

 

 

「耳当て」がきっかけで考えさせられた話

結局、長男は耳当てを見つけることができず、そのまま学校へ行った。

僕はというと、いつも通りのんきに過ごしていた。

しかし、夕方になって長男が帰ってくると、何やら様子がおかしい。

「ただいま。」

そう言いながら、明らかに不機嫌な顔をしている。

「どうしたん?なんかあったん?」

僕が聞くと、長男はぶっきらぼうに言った。

「耳当て、結局になかった。」

僕は、???と思った。

「だから、ちゃんと自分で探さなあかんねん。」

そう言うと、長男はさらにムッとした表情になった。

「だって、ぱぱが知らんって言ったから耳当てつけるん諦めたんやもん。」

 

 

僕は、ドキッとした。

確かに、僕は「知らん」と言った。

しかし、それは本当に知らなかったからだ。

長男に探させようとか、そういう気持ちは全くなかった。

ただ、結果的にそうなってしまった。

 

僕は、長男に謝った。

「ごめんな。父ちゃん、ちゃんと探さなくて。」

長男は、まだ少し怒っていたが、僕の謝罪を受け入れてくれた。

 

その夜、僕は、長男の耳当てのことをずっと考えていた。

僕は、本当にいい父親なのだろうか?

子どもの持ち物を把握していないなんて、父親として失格じゃないか?

そんなことを考えていると、なんだか自分が情けなくなってきた。

僕は、自分の父親のことを思い出した。

 

父は厳しいけど…昭和な親だった

僕の父は、いつも仕事中心で、厳しい人だった。

 

でも、子どものことは無頓着な人だった。

僕が何かを忘れても、無くしても、叱られるけど後にひかない。

最後は「しゃあないなあ。」

そう言って、笑って済ませていた。

僕は、そんな父の背中に男親とはそういうものだと思っていた。

 

でも、今になって思うと、それはそれで良かったのかもしれない。

父親がしっかりしすぎていたら、子どもは甘えられない。

父親が適当だからこそ、子どもは自分で考えるようになる。

そう考えると、僕の父は、ある意味、すごい父親だったのかもしれない。

 

父親の役割とは?

僕は、長男の耳当てのことを通して、父親の役割について考えさせられた。

父親は、子どもを甘やかすだけでも、厳しくするだけでもない。

時には、子どもに頼られる存在になり、時には、子どもを突き放す存在になる。

そのバランスが大切なのだと思った。

僕は、まだまだ父親として未熟だ。

でも、長男と一緒に成長していきたい。

そんなことを思った出来事だった。