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こんにちは、おふと申します。
「ヴィッセル神戸」の魅力を発信していきたいという、いちファンが勝手にクラブの魅力を綴っていきます。
川崎フロンターレの皆さん、2021年J1リーグ優勝おめでとうございます!
今年もダントツの強さでの「J1制覇」でした。
「川崎フロンターレ」の凄いと思う点は、しっかりとした「地域密着」。
近年、Jリーグで最も成功したクラブだと思います。
今回は「川崎フロンターレのホームである等々力陸上競技場」のお話です。
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「川崎市」と「川崎フロンターレ」の幸せな関係が「等々力陸上競技場のサッカー専用スタジアム化」へと…
以前、Jクラブのホームスタジアム事情が異なる事を主題にして、
サッカー専用スタジアム化が進む「関西のサッカースタジアム事情」と
陸上競技場のままで運用している「関東のサッカースタジアム事情」を
ブログ記事にさせてもらいました。
ブログの内容としては
- 国体の為に造った「陸上競技場」をJリーグ利用でスタジアム維持費を捻出しているのが「関東のスタジアム事情」
- 「陸上競技場」であっても、スタジアムをサポーターで埋める「川崎フロンターレの魅力」
でした。
このブログ記事を書いた時(2019年8月時点)の等々力陸上競技場改修案は
「陸上競技場」のままで収容人数を増加させる改修案でした。
ところが、2021年5月に改修案が変更されて、
「サッカー専用スタジアム」として生まれ変わる事が決まりました。
「関東のサッカースタジアム事情」にも変化が見えてきました。
苦難の末に偉業を達成したクラブに、ホームタウンの川崎市は大きなプレンゼントを用意。本拠地・等々力競技場の球技専用化が今月にも本格的に動き出す。関東圏に待望のサッカー専用スタジアムの誕生だ。スタンドを増改築し、収容人員も3万5000人以上にする方針。等々力緑地全体の再編整備も行い、スタジアムから多摩川に通行専用の橋をかける。
「川崎市」の挫かれた夢……「高橋ユニオンズ」「大洋ホエールズ」「ロッテオリオンズ」の川崎撤退
川崎市の夢………それはプロ球団を定着させる事。
「川崎フロンターレ」の地域密着を知っている若い人には、
そんなのは夢ではないと思うかもしれませんが…
「プロ球団不毛の地」と言われたのが「川崎市」だったのです。
この話は1954年から始まります。
最初に「川崎市」をホームタウンにして活動していたプロ野球球団が「高橋ユニオンズ」。
1957年に「高橋ユニオンズ」は「大映ユニオンズ」に吸収合併されてしまい、
川崎から離れて、東京の後楽園球場に移ってしまいます。
約3年しか存在しなかった「高橋ユニオンズ」が東京に移転する手前の1955年、
「大洋ホエールズ」が川崎市に本拠を構えます。
後の「横浜ベイスターズ」になる「大洋ホエールズ」が川崎をホームタウンにしていた事を知らない人は多いのではないでしょうか?
その「大洋ホエールズ」も約20年後、
1978年にご存じのように横浜スタジアムに移転してしまいます。
「大洋ホエールズ」の代わりに「ロッテオリオンズ」が川崎に78年に移転していきます。
懐かしの名場面で張本勲氏や落合博満氏が活躍しているシーンを見た人もいるかと思います。
このあたりになると、少し記憶があるねと言う人もいるとは思います。
その「ロッテオリオンズ」も1992年に千葉に移転してしまいます。
その後、プロ野球球団は川崎市を本拠地にしていません。
「プロ野球不毛の地」と意味では、神戸市民としては、川崎市にとても親近感を覚えます。
「川崎市」と「ヴェルディ川崎」の不幸せな関係と破綻
1993年、Jリーグ開幕。
この年から川崎をホームタウンとして、Jリーグに君臨したのが「王者・ヴェルディ川崎」でした。
川崎市にとって、「ヴェルディ川崎」との関係は最悪な形で破綻します。
というのも、「地域密着」とは程遠い存在だったのが「読売ヴェルディ」だったからです。
クラブハウスは東京都稲城市のよみうりランド。
当時の筆頭株主「読売新聞社」の社長・渡邊恒雄は「地域密着」という理念は反対。
メインとなるゲームは「国立競技場」で開催。
「読売ヴェルディ」のターゲットは、「川崎市」ではなく「東京」にありました。
案の定、94年に「東京スタジアム」新設する機運が高まると「東京移転」を言い出します。
川崎市も全国的な人気を持つ「ヴェルディ川崎」を引き留めるために
- 観客席の改築(25,000人収容に増設)
- 大型映像装置の設置
など、手を打ちます。
それでも2001年に「ヴェルディ川崎」は東京に移転し、「東京ヴェルディ」になりました。
「川崎市」では「ヴェルディ」に相応しくないというような態度で………。
J2だった「川崎フロンターレ」が「常勝のビッククラブ」として成長
Jリーグに君臨していた「王者・ヴェルディ川崎」に「川崎市」が振り回されていた1997年。
JFLに所属していた「富士通サッカー部」を母体とした「川崎フロンターレ」が発足します。
ここから、「川崎フロンターレ」のサクセスストーリーが始まります。
激動。1997年から2020年までの川崎フロンターレの歴史を振り返った時、思い浮かんだのがこのひと言だった。今でこそ黄金時代を築く川崎も、「シルバーコレクター」と言われた時代があった。タイトルに届きそうで届かない、そんな苦しい時を過ごしていたのだ。
「川崎市」の夢を叶えた「川崎フロンターレ」の存在
「高橋ユニオンズ」から続いてきた「川崎撤退の悪夢」。
その悪夢に終止符を打ったのが「川崎フロンターレ」。
その存在がホームスタジアム改修に大きく変化させることになります。
2008年から論議されてきた「等々力陸上競技場」の改修案。
当初より「サッカー専用スタジアム化」がサッカーファンから求められていました。
それでも、2009年にまとめられた改修案は
「原位置で(陸上競技場として)35,000人規模へ全面改修」でした。
実際に改修計画は進められ、第1期整備は完了させます。
- 2012年シーズン終了後、メインスタンドの改修に着手。2015年シーズン開幕までに完成させる(第1期整備)
- 2017年シーズンオフ以降にサイドスタンド・バックスタンドの改修に着手(第2期整備)
2021年5月に当初予定していた第2期整備が見直され、「サッカー専用スタジアム」へ改修される事になります。
この変更は
- 「川崎フロンターレ」が川崎に定着する事を「川崎市」が確信した
- 「川崎市民」のサッカー文化への理解が進んだ
という事が理由だと思います。
「関東サッカースタジアム事情」の変化
「関西のサッカー専用スタジアム化」は、パナソニックスタジアムのように民間主体に進んでいます。
ところが、「関東のサッカー専用スタジアム化」は川崎市の例が切っ掛けになってくれたら………官民で進んでいく可能性が出てきました。
川崎市民がサッカー文化を認め、等々力陸上競技場のサッカー専用スタジアム化を許せる土壌が出来上がった事が、この変化を産み出されたと言えるでしょう。
川崎市民から愛される「川崎フロンターレ」だからこそ、市民からホームスタジアムの「サッカー専用スタジアム」が求められる。
「川崎フロンターレ」は幸せなクラブなのです。
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